2016年12月9日に突然芸能界引退を発表した成宮寛貴は以前、新宿ニ丁目で働いたことがあることをカミングアウトしています。FLASH誌2017年1月3日号で、新宿二丁目に通っていた50代の男性の、ヒロシゲ(成宮の本名の呼び名)が、14歳の頃から新宿二丁目にきていて、初めて薬物に近づいたという証言を掲載しています。
成宮寛貴カミングアウトした新宿二丁目時代
FLASH誌は、新宿2丁目に通っていた50代の男性が、ヒロシゲが14歳の頃から新宿二丁目にきていたという証言を掲載しています。ヒロシゲは美少年で、無邪気な笑顔で誰からも好かれていたそうです。
「ヒロシゲは未成年だったけど、お酒とタバコは普通にやってたね。当時つきあっていた男の一人は高校教師だった。ヒロシゲにはブランドものの服をかったりとずいぶんお金をつぎ込んでいた。当時成宮は有名女優とも交際していて三角関係になっていた。彼女と成宮は二丁目の色々な店を飲み歩いていたけど、高校教師はよく思っていなかった」
(引用元:FLASH 2017年1月3日号)
母親が離婚、やがて亡くなり、中学を卒業したあと、引越し業者でアルバイト
母親が離婚し、6歳下の弟と3人ぐらしをしていたが、母親が交通事故で亡くなり、弟のために高校進学をあきらめ、中学卒業後、引っ越し業者でアルバイトをしていました。
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引っ越し業者でのアルバイトをやめて、新宿二丁目に入り浸るようになる
引越し業者のアルバイトも3ヶ月でやめて、やがて新宿二丁目に入り浸るようになったようです。その頃から、薬にも近づいていったと、50代の男性は、FLASHで告白しています。
「Hという女装クラブがあって、そこのママが10代の少年10人を自宅に居候させていた。そのうちの一人が成宮だった。少年たちの間ではMDMAが流通していた。ゴメオやラッシュをやっていたという話しもあった」
(引用元:FLASH2017年1月3日号)
ゴメオは麻薬で、MDMAとラッシュは危険ドラッグです。成宮は17歳の時に芸能界へ入りますが、デビュー後も西麻布や六本木でそういう人達のクラブに出没していて、薬をやっているという噂が絶えなかったようです。
成宮が以前カミングアウトした新宿2丁目時代の話が、当時新宿2丁目に通っていた50代の男性によって証言され、FLASHに掲載されました。成宮は14歳の頃から、新宿2丁目に来るようになり、お酒やたばこも覚えたようです。薬にもその頃近づいたという話しです。確たる証拠はありませんが、新宿2丁目で薬が近くにあるような環境にいたようです。
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