自分らしく最期を迎えたい、残った者が煩わしい風習や習慣に煩わされる事なく、自然な形で見送る事が出来る、そんな最期の迎え方について一つの方法をご紹介します。
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自分らしく最期を迎える「献体」という選択:
先月、84歳で亡くなった父。70代に入って間もないある日、母にこういったそうです。
「自分は、死を迎えた後、献体したいと思っている。もし依存がなければあなたもどう?」
母もそして私たち子供達も、異論はなく、父、そして母も死後、献体という形をとる事になりました。
「献体」、実際のプロセス:
一連の手続きが終わると、年に1回ほど、献体予定の病院から知らせがあり、二人で出かけていました。若い医学生達と会談をしていたようで、献体を決めた気持ち等、質問に答えたり、そんな内容の会談だったようです。
両親が献体を選んだと聞かされても、その頃はあまり実感もなく、「へぇ、そんな選択もあるんだ」ぐらいにしか思っていませんでした。そして月日が流れ、年を追うごとに脚が不自由になって車椅子生活を送るようになった父は、83歳になった時に、自宅近くの施設に入所しました。母は毎日様子を見に行き、父も、施設で仲間も出来、マージャンしたり、カラオケしたり、コンサートを聴いたり、穏やかに楽しそうに日々を送っていました。
そんなある日、施設から「誤飲性肺炎」により父が緊急入院をしたと連絡があり、病院にかけつけると、酸素マスクをつけて、苦しそうにしている父の姿がありました。一時は生死をさまよいましたが、なんとか乗り越えて、簡単な食事まで出来るまで回復しましたが、
違う種類の肺炎を併発し、半年間の入院生活の後、最後はあっけなく亡くなってしまいました。
亡くなった後は、父は霊安室に運ばれ、献体先の病院に連絡を入れると、解剖教室の医師から折り返し電話があり、いくつかの事項の確認後、葬儀社から連絡があり、約1時間後霊柩車がやっきて、そして父は運ばれて行きました。献体という経験は、私にとっても初めての事でしたが、実にシンプルであっという間に手続きがなされていきました。
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父らしい最期の選択、「献体」:
一連の出来事を振り返ってみて思ったのは、実に父らしい最期だったという事です。父はいつもシンプルに物を考える人で、残った者が煩わしい風習や習慣に煩わされる事なく、
自然な形で父を見送る事が出来、いかにも父らしいスタイルの最期だったと思います。
最期まで自分を貫き通した父にとても尊敬の念を感じています。
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